今年もお中元の季節となりました。この時期は百貨店にとって年末に次ぐ稼ぎどき。あらゆる部署から応援社員が集まり、全社一丸となって中元商戦を戦います。そんな忙しすぎるお中元商戦の現場では、ときに考えられないミスが起こります。
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2008年06月26日
2007年03月27日
百貨店な人々6「秘密のVIP向けイベント」
百貨店の外商の販売方法は大きく分けて二つある。一つは、お金持ちの家に直接伺うこと。もう一つは、「特別招待会」と呼ばれる販売イベントにお客さまを連れて行くこと。この特別招待会、略して特招は月に1〜2回ぐらいのペースで開催されていた。会場はイベントの「格」により、百貨店内で催すこともあれば東京、大阪、京都、名古屋などの高級ホテルで大々的に開催することもあった。こうしたVIP向けの特招は新聞チラシなどに一切掲載されないので、一部のお金持ち以外は百貨店がこのようなイベントを日常的に実施していることすら知らないだろう。
特別招待会の中でもっともハイグレードだったのが、某海外高級ブランド「D」の宝飾品・毛皮製品の展示販売会。このイベントはメーカー主催だったので、会場には我々の他にも高島屋、三越、大丸など日本全国の名だたる百貨店が参加していた。黒塗りのハイヤーが次々とセレブを運んでくる。中にはTVで見たことのある有名人の顔もちらほら。エスコートする外商員もどこか誇らしげだ。
お客さまがホテルに到着しても、すぐに展示会場へ案内しない。まずは最上階のレストランへと連れて行き、4万円のフレンチフルコース(ランチ)を食べさせる。しばしゆったりくつろいでいただき、ワインでいい気分になってきたところを見計らってテーブルまで迎えに行く。それでもまだ会場には入らない。では何をするかというと、ファションショーの観覧だ。これがまたいい!モデルはすべてパリコレなどに出演しているバリバリのトップモデル(誰も知らないけど)。ちらっと聞いた話によると、このイベントのワンステージだけでギャラがウン百万円だとかなんとか。とにかくモデルの顔の小ささにはビックリギョーテン。「あんたらほんとに人間か」というかんじ。
4万円のランチ(ワインも含めれば6万ぐらい)とファッションショーでいい気分にさせたら、いよいよ展示会場へ突入だ。このイベントではもっとも安い商品でも70万円。お客さまは「つきあい」で何か買うにしても、最低70万円は出費することになる。ここで一組のお客さまにかかる経費を計算してみよう。まず新幹線代が往復60,000円(ご夫婦2名分。当然グリーン)、食事代が100,000万円、イベントへの参加料10,000円、これに私の新幹線代12,000円(普通席)を足して、ざっと162,000円・・・。何か買ってもらわないと大赤字必至なのである。しかしそこはセレブのお客さま。ちゃんと理解していらっしゃる。ご主人は腕時計を、奥様はダイヤのファッションリングをご購入。しめて3,600,000円ナリ!これだけ買ってくれれば御の字だ。すかさず必殺のセリフ「今日はお泊まりになられたらいかがですか」発動。お買いあげ金額がもし100万円以下ならこのセリフは発動しなかっただろう。「そうね、あなたどうかしら」「僕は構わないよ」。すぐに近くに待機していたホテルスタッフへ耳打ちして部屋をおさえる。さすがにスイートまでは提供できないが、それでもツインではいちばんいい部屋を取ってあげた。たしか5万円ほどしたような記憶がある。
その後お客さまと別れ、ホテルを後にした。セレブの世界から現実世界へと逆戻り。ドッと疲れが押し寄せる。帰りはどこにも寄り道せずに新幹線の駅へと直行。「4万円のランチって、どんなかなー」と想像しながら食べた800円の駅弁は、それはそれでおいしかった。
特別招待会の中でもっともハイグレードだったのが、某海外高級ブランド「D」の宝飾品・毛皮製品の展示販売会。このイベントはメーカー主催だったので、会場には我々の他にも高島屋、三越、大丸など日本全国の名だたる百貨店が参加していた。黒塗りのハイヤーが次々とセレブを運んでくる。中にはTVで見たことのある有名人の顔もちらほら。エスコートする外商員もどこか誇らしげだ。
お客さまがホテルに到着しても、すぐに展示会場へ案内しない。まずは最上階のレストランへと連れて行き、4万円のフレンチフルコース(ランチ)を食べさせる。しばしゆったりくつろいでいただき、ワインでいい気分になってきたところを見計らってテーブルまで迎えに行く。それでもまだ会場には入らない。では何をするかというと、ファションショーの観覧だ。これがまたいい!モデルはすべてパリコレなどに出演しているバリバリのトップモデル(誰も知らないけど)。ちらっと聞いた話によると、このイベントのワンステージだけでギャラがウン百万円だとかなんとか。とにかくモデルの顔の小ささにはビックリギョーテン。「あんたらほんとに人間か」というかんじ。
4万円のランチ(ワインも含めれば6万ぐらい)とファッションショーでいい気分にさせたら、いよいよ展示会場へ突入だ。このイベントではもっとも安い商品でも70万円。お客さまは「つきあい」で何か買うにしても、最低70万円は出費することになる。ここで一組のお客さまにかかる経費を計算してみよう。まず新幹線代が往復60,000円(ご夫婦2名分。当然グリーン)、食事代が100,000万円、イベントへの参加料10,000円、これに私の新幹線代12,000円(普通席)を足して、ざっと162,000円・・・。何か買ってもらわないと大赤字必至なのである。しかしそこはセレブのお客さま。ちゃんと理解していらっしゃる。ご主人は腕時計を、奥様はダイヤのファッションリングをご購入。しめて3,600,000円ナリ!これだけ買ってくれれば御の字だ。すかさず必殺のセリフ「今日はお泊まりになられたらいかがですか」発動。お買いあげ金額がもし100万円以下ならこのセリフは発動しなかっただろう。「そうね、あなたどうかしら」「僕は構わないよ」。すぐに近くに待機していたホテルスタッフへ耳打ちして部屋をおさえる。さすがにスイートまでは提供できないが、それでもツインではいちばんいい部屋を取ってあげた。たしか5万円ほどしたような記憶がある。
その後お客さまと別れ、ホテルを後にした。セレブの世界から現実世界へと逆戻り。ドッと疲れが押し寄せる。帰りはどこにも寄り道せずに新幹線の駅へと直行。「4万円のランチって、どんなかなー」と想像しながら食べた800円の駅弁は、それはそれでおいしかった。
2007年02月09日
百貨店な人々5「お金持ちに遭遇した日」
百貨店の外商は「個人外商」と「法人外商」に分かれている。私が担当していたのは「個人」のほう。勤めていた百貨店の場合、「外商カード(いわゆるデパートのハウスカード)」を作れば誰でもとりあえずは「外商会員」になれる。いちおう審査はあるものの、基準は一般的なクレジットカードとまったく同じ。
なぜ外商会員になるための条件(たとえば年収1,000万円以上とか)を課さないかというと、それら年収・職業などのデータは実際の現場ではなんの役にも立たないからだ。というのも、金持ちだからといって買い物好きとは限らないし、逆に、データからはとてもVIPに思えない人でも上得意様になったりするケースが多いから。もちろん素性データはある程度の参考にはなるが、やはり実際に訪問して会ってみないと分からない。
私の担当する外商会員数は千件を超えていたが、そのうち真の意味で「VIP」と呼べる人は10名にも満たなかった。ここでいうVIPとは、「外商員の頻繁な訪問によるプレッシャーをものともせず、毎月コンスタントにポンッと数百万円の買い物が平然とできちゃう人」のことだ。このような人たちの買い物の仕方は、我々一般庶民とは大きくかけ離れていた。新人のときはそのギャップにとまどうことも少なくなかった。

外商部に配属されて3日目。新しく担当になったあいさつを兼ねて、ある会社社長宅へ訪問することになった。「あそこの奥様は時計が好きだから、何本か借りていけ」という課長のアドバイスどおり、ジュエリーがちりばめられたキンキラキンの腕時計を売り場で10本ほど見つくろってもらった。ちなみに高額品を店外へ持ち出すときは商品一つひとつに持ち出し伝票を作成しなければならない。紛失したら・・・もちろん弁償だ。腕に抱えたスーツケースの中には、総額1千万円相当の宝飾時計がつまっている。ドキドキする。強盗が襲ってこないか周囲をキョロキョロしつつ外商車に乗り込み、いざ出発。
VIP宅では奥さんの気さくな人柄にも助けられ、無事に型どおりのあいさつを済ませることができた。しかし、なかなか商売の話を切り出すタイミングがつかめない。すると、奥さんの方から「なに持ってきたの?」とゴツいスーツケースを指さしてくれた。「そ、そうなんです!じつは新作の腕時計をお見せしたいと思いまして・・・」。奥さんは慣れたもので、「見せてちょうだい」と乗り気な様子。さっそく総額1千万円分の時計が入ったスーツケースを開ける。奥さんは「ふーん」といった風情でまばゆいばかりのキンキラ時計を眺めている。すると、まだ5分も経っていないのに「じゃあ、これ置いていって」と1本の腕時計を指さした。
「え!?」。彼女が選んだのはなんと、これでもか!とフジツボのようにダイヤがくっつきまくっている380万円のシロモノだった。「・・・いいんですか? いいんですね?」。何度も確かめる私にけげんそうな表情を見せながら奥さんはいった。「なにか問題でもあるの?」「いいえ!」。これは売り場での話ではない。玄関先でのことだ。町内会費380円を払うかのごとく、ごく普通に380万円の買い物をしてしまうさりげなさ。このときつくづく思った。「金持ちって、本当にいるんだ」と。
新人の外商員は「一般庶民社会」と「金持ち社会」を行き来しているうち、少なからず金銭感覚がマヒしてしまう。ふだん「のり弁当」か「のり弁当デラックス」にするかコンビニで小一時間ほど悩む生活をしている人間が、VIP宅では「奥さん、これすごくお安くなってますよ」なんていいながら200万円のジュエリーをすすめたりするのだ。何がなんだかわからなくなってくる。
ある日、自分のスーツを新調しようと紳士服売り場へ行ったときのこと。気に入った商品があったので値札を見ると14万円だった。「ああ、これなら安いな」と販売員に手渡しかけたそのとき、ハッと我に返った。「バカバカバカ俺のバカ。なんで14万円が安いんだよ。自分の月収かんがえろよ!」。いつもVIP顧客相手に50万〜100万円ぐらいする高級フルオーダースーツを売っているだけに、14万円のスーツが「安い」と錯覚してしまったのだ。自分の買い物なのに・・・。あやうくお買いあげしてしまうところだった。ぺーぺーの新社会人が百貨店で、しかもアル○ーニのスーツを買うなんて100年早い。洋服のア○ヤマのツーパンツスーツ19,800円でじゅうぶんなのだ。
テレビや映画の中だけに存在していたホンモノの「お金持ち」に接するたび、自分の生活がなんとも侘びしく感じられたものだ。いつか向こう側の人間に、と思いつつはや十ウン年。「ぢっと手を見る」暮らしは一向に変わらない。
なぜ外商会員になるための条件(たとえば年収1,000万円以上とか)を課さないかというと、それら年収・職業などのデータは実際の現場ではなんの役にも立たないからだ。というのも、金持ちだからといって買い物好きとは限らないし、逆に、データからはとてもVIPに思えない人でも上得意様になったりするケースが多いから。もちろん素性データはある程度の参考にはなるが、やはり実際に訪問して会ってみないと分からない。
私の担当する外商会員数は千件を超えていたが、そのうち真の意味で「VIP」と呼べる人は10名にも満たなかった。ここでいうVIPとは、「外商員の頻繁な訪問によるプレッシャーをものともせず、毎月コンスタントにポンッと数百万円の買い物が平然とできちゃう人」のことだ。このような人たちの買い物の仕方は、我々一般庶民とは大きくかけ離れていた。新人のときはそのギャップにとまどうことも少なくなかった。

外商部に配属されて3日目。新しく担当になったあいさつを兼ねて、ある会社社長宅へ訪問することになった。「あそこの奥様は時計が好きだから、何本か借りていけ」という課長のアドバイスどおり、ジュエリーがちりばめられたキンキラキンの腕時計を売り場で10本ほど見つくろってもらった。ちなみに高額品を店外へ持ち出すときは商品一つひとつに持ち出し伝票を作成しなければならない。紛失したら・・・もちろん弁償だ。腕に抱えたスーツケースの中には、総額1千万円相当の宝飾時計がつまっている。ドキドキする。強盗が襲ってこないか周囲をキョロキョロしつつ外商車に乗り込み、いざ出発。
VIP宅では奥さんの気さくな人柄にも助けられ、無事に型どおりのあいさつを済ませることができた。しかし、なかなか商売の話を切り出すタイミングがつかめない。すると、奥さんの方から「なに持ってきたの?」とゴツいスーツケースを指さしてくれた。「そ、そうなんです!じつは新作の腕時計をお見せしたいと思いまして・・・」。奥さんは慣れたもので、「見せてちょうだい」と乗り気な様子。さっそく総額1千万円分の時計が入ったスーツケースを開ける。奥さんは「ふーん」といった風情でまばゆいばかりのキンキラ時計を眺めている。すると、まだ5分も経っていないのに「じゃあ、これ置いていって」と1本の腕時計を指さした。
「え!?」。彼女が選んだのはなんと、これでもか!とフジツボのようにダイヤがくっつきまくっている380万円のシロモノだった。「・・・いいんですか? いいんですね?」。何度も確かめる私にけげんそうな表情を見せながら奥さんはいった。「なにか問題でもあるの?」「いいえ!」。これは売り場での話ではない。玄関先でのことだ。町内会費380円を払うかのごとく、ごく普通に380万円の買い物をしてしまうさりげなさ。このときつくづく思った。「金持ちって、本当にいるんだ」と。
新人の外商員は「一般庶民社会」と「金持ち社会」を行き来しているうち、少なからず金銭感覚がマヒしてしまう。ふだん「のり弁当」か「のり弁当デラックス」にするかコンビニで小一時間ほど悩む生活をしている人間が、VIP宅では「奥さん、これすごくお安くなってますよ」なんていいながら200万円のジュエリーをすすめたりするのだ。何がなんだかわからなくなってくる。
ある日、自分のスーツを新調しようと紳士服売り場へ行ったときのこと。気に入った商品があったので値札を見ると14万円だった。「ああ、これなら安いな」と販売員に手渡しかけたそのとき、ハッと我に返った。「バカバカバカ俺のバカ。なんで14万円が安いんだよ。自分の月収かんがえろよ!」。いつもVIP顧客相手に50万〜100万円ぐらいする高級フルオーダースーツを売っているだけに、14万円のスーツが「安い」と錯覚してしまったのだ。自分の買い物なのに・・・。あやうくお買いあげしてしまうところだった。ぺーぺーの新社会人が百貨店で、しかもアル○ーニのスーツを買うなんて100年早い。洋服のア○ヤマのツーパンツスーツ19,800円でじゅうぶんなのだ。
テレビや映画の中だけに存在していたホンモノの「お金持ち」に接するたび、自分の生活がなんとも侘びしく感じられたものだ。いつか向こう側の人間に、と思いつつはや十ウン年。「ぢっと手を見る」暮らしは一向に変わらない。
2007年01月30日
百貨店な人々4「トラウマは成長の元」
百貨店に入社して半年。外商員として一連の仕事の流れがようやくわかってきた秋の日。ある建設会社の社長からゴルフコンペの賞品を揃えるよう依頼された。建設会社といっても大手ではない。社長いわく「工務店に毛が生えたようなもの」だという。それでも従業員を60人も抱えているというからたいしたものだ。
さて、オーダーの詳細は・・・「総額で税込み150万円以内。各賞ごとの金額配分と賞品の選択はおまえに任せる」というものだった。ノルマノルマノルマの地獄のエブリデーの中、久々におもしろそうな仕事だ。さっそく百貨店内を一巡して、まずは候補となる商品のリストアップ。優勝から参加賞まであわせると全部で20の賞があり、金額を勘案しながら賞品を選ぶのはことのほか難しかった。

社長の奥さんの「コンペに参加するのは男性がほとんどだけど、賞品は奥さんへのおみやげになるものが喜ばれる」というアドバイスに従い、とくに下位の賞はもらっても無駄にならない生活必需品や食品を中心に選んだ。優勝賞品はかなり迷ったが、じぶん自身ひと目みて欲しいと思ったイタリア製の一人がけカウチソファに決めた。
総額は税込みで1,501,000円。予算は150万円といわれていたが、まあ、1,000円ぐらいのオーバーなら構わないだろう。さっそく賞品&価格リストを持って社長宅へ伺った。日曜日の午後ということもあり、社長はすでにお酒が入っているようだ。いつもは多くを語らず気むずかしい印象だが、きょうはゴキゲンな様子でひと安心。応接間に通されると、ほどなく奥さんがコーヒーを運んできてくださった。
ちなみにこのコーヒー。非常にありがたいのだが、お客さま宅へ訪問するたびにコーヒーが出るため、一日に10杯以上飲むこともある。外商員の常識として、出されたものはたとえ青汁だろうとなんだろうときっちり飲み干さなければならない。この日もすでに5杯コーヒーをいただいていたが、そのような表情をおくびにも出さず一気に飲み干す。
「社長、ゴルフコンペの賞品リストです」。「よし、見よう。・・・お、このイスいいねえ」。社長は開口一番、優勝賞品であるイタリア製一人がけカウチの資料写真を見ていった。よし、つかみはOK。社長は上位の賞品以外は興味がないようで、リストにざっと目を通すと「ま、いいんじゃないか」とひとこと。ああ、よかった。さっそく店に帰って正式に手配しなければ。おいとましようとひざを上げかけたそのとき、「・・・おい、ちょっと待て」と怒りを含んだ低い声。ドキ・・・やばいな、何か気にくわない賞品があったのかな。やはりブービー賞のセクシー下着詰め合わせはやりすぎたか。
「これなんだ」と、社長が示したのは総費用の数字だった。「俺は150万円以内といったよな」。それは私もわかっていた。だけど、1,000円ぐらいのオーバーはどうってことないだろうと高をくくっていたのだ。「おまえ、1,000円ぐらいと思ってないか」。「いえ、そのようなことは・・・ハイ!1,000円値引きさせていただきます!」。しかし社長の顔はますます赤くなっていき、怒りが沸点に達しそうなのは明らかだ。「あわわ・・・あの、148万円に値引き・・・」といいかけたそのとき、「そういう問題じゃねえ!!」ついに沸騰。「ひえーーー」。
社長いわく、こんな小さな企業だからこそカネに関してシビアにならないといけない。一度役員会で予算を決めた以上、1円たりともオーバーは許されない。1,000円というカネを捻出するのがどれほどたいへんなことかわかるかうんぬん・・・。と、いうようなことをおっしゃってたような気がするが、社長のあまりの剣幕にほとんど記憶がない。
あらかじめ示された金額をオーバーした見積もりを出すなんて、いま思えば非常識極まりない行為だ。だが、当時の私は社会常識の「し」の字も知らない“アマチュア社会人"だったので、このような失敗を数多くしでかした。納品時間に1分遅刻しただけで「出直してこい!」と怒鳴られたこともあるし、入社早々のあいさつまわりの際、名刺の渡し方が悪かったというだけで上司を呼び出されたこともある。
勤めていた百貨店は基本的に「社会人としてのマナーは実地で身につけていく」という方針をとっていた。このため、新入社員はお客さまに罵倒されながら一つひとつ「社会人としてのマナー、常識、ときにインサイドワーク」をカラダに刻みつけていく。お客さまから怒られた経験はいい意味で(?)トラウマとなるため、その後おなじ失敗を繰り返すことは二度となかった。だから今では、当時の若い自分を本気で叱ってくれたお客さまたちに心から感謝している。もしもあのときお客さまが私に対する怒りを我慢していたとしたら、いまだに同じ失敗を繰り返していたに違いない。
翌朝一番、社長は会社に私を呼びつけた。私は内心、ゴルフコンペ賞品の注文キャンセルを覚悟した。すでにその月の目論見予算に入れていたので、月末時点でのマイナス150万円は痛すぎる。でも、明らかにじぶんのミスなのだから仕方がない。「失礼します!」社長室に入ると、社長はイスに腰掛けたまま上目遣いに私を一瞥した。「あのイタリア製のソファ、個人的に欲しいから至急届けてくれ」。予想外の言葉に二の句が継げない。「・・・は、はあ」。あっけに取られている私を無視するように社長はいった。「コンペで優勝して二つ手に入ったら、かみさんにくれてやるよ。ガハハハ」。・・・これにて一件落着・・・なのかよくわからない23才、ある秋の日であった。
さて、オーダーの詳細は・・・「総額で税込み150万円以内。各賞ごとの金額配分と賞品の選択はおまえに任せる」というものだった。ノルマノルマノルマの地獄のエブリデーの中、久々におもしろそうな仕事だ。さっそく百貨店内を一巡して、まずは候補となる商品のリストアップ。優勝から参加賞まであわせると全部で20の賞があり、金額を勘案しながら賞品を選ぶのはことのほか難しかった。

社長の奥さんの「コンペに参加するのは男性がほとんどだけど、賞品は奥さんへのおみやげになるものが喜ばれる」というアドバイスに従い、とくに下位の賞はもらっても無駄にならない生活必需品や食品を中心に選んだ。優勝賞品はかなり迷ったが、じぶん自身ひと目みて欲しいと思ったイタリア製の一人がけカウチソファに決めた。
総額は税込みで1,501,000円。予算は150万円といわれていたが、まあ、1,000円ぐらいのオーバーなら構わないだろう。さっそく賞品&価格リストを持って社長宅へ伺った。日曜日の午後ということもあり、社長はすでにお酒が入っているようだ。いつもは多くを語らず気むずかしい印象だが、きょうはゴキゲンな様子でひと安心。応接間に通されると、ほどなく奥さんがコーヒーを運んできてくださった。
ちなみにこのコーヒー。非常にありがたいのだが、お客さま宅へ訪問するたびにコーヒーが出るため、一日に10杯以上飲むこともある。外商員の常識として、出されたものはたとえ青汁だろうとなんだろうときっちり飲み干さなければならない。この日もすでに5杯コーヒーをいただいていたが、そのような表情をおくびにも出さず一気に飲み干す。
「社長、ゴルフコンペの賞品リストです」。「よし、見よう。・・・お、このイスいいねえ」。社長は開口一番、優勝賞品であるイタリア製一人がけカウチの資料写真を見ていった。よし、つかみはOK。社長は上位の賞品以外は興味がないようで、リストにざっと目を通すと「ま、いいんじゃないか」とひとこと。ああ、よかった。さっそく店に帰って正式に手配しなければ。おいとましようとひざを上げかけたそのとき、「・・・おい、ちょっと待て」と怒りを含んだ低い声。ドキ・・・やばいな、何か気にくわない賞品があったのかな。やはりブービー賞のセクシー下着詰め合わせはやりすぎたか。
「これなんだ」と、社長が示したのは総費用の数字だった。「俺は150万円以内といったよな」。それは私もわかっていた。だけど、1,000円ぐらいのオーバーはどうってことないだろうと高をくくっていたのだ。「おまえ、1,000円ぐらいと思ってないか」。「いえ、そのようなことは・・・ハイ!1,000円値引きさせていただきます!」。しかし社長の顔はますます赤くなっていき、怒りが沸点に達しそうなのは明らかだ。「あわわ・・・あの、148万円に値引き・・・」といいかけたそのとき、「そういう問題じゃねえ!!」ついに沸騰。「ひえーーー」。
社長いわく、こんな小さな企業だからこそカネに関してシビアにならないといけない。一度役員会で予算を決めた以上、1円たりともオーバーは許されない。1,000円というカネを捻出するのがどれほどたいへんなことかわかるかうんぬん・・・。と、いうようなことをおっしゃってたような気がするが、社長のあまりの剣幕にほとんど記憶がない。
あらかじめ示された金額をオーバーした見積もりを出すなんて、いま思えば非常識極まりない行為だ。だが、当時の私は社会常識の「し」の字も知らない“アマチュア社会人"だったので、このような失敗を数多くしでかした。納品時間に1分遅刻しただけで「出直してこい!」と怒鳴られたこともあるし、入社早々のあいさつまわりの際、名刺の渡し方が悪かったというだけで上司を呼び出されたこともある。
勤めていた百貨店は基本的に「社会人としてのマナーは実地で身につけていく」という方針をとっていた。このため、新入社員はお客さまに罵倒されながら一つひとつ「社会人としてのマナー、常識、ときにインサイドワーク」をカラダに刻みつけていく。お客さまから怒られた経験はいい意味で(?)トラウマとなるため、その後おなじ失敗を繰り返すことは二度となかった。だから今では、当時の若い自分を本気で叱ってくれたお客さまたちに心から感謝している。もしもあのときお客さまが私に対する怒りを我慢していたとしたら、いまだに同じ失敗を繰り返していたに違いない。
翌朝一番、社長は会社に私を呼びつけた。私は内心、ゴルフコンペ賞品の注文キャンセルを覚悟した。すでにその月の目論見予算に入れていたので、月末時点でのマイナス150万円は痛すぎる。でも、明らかにじぶんのミスなのだから仕方がない。「失礼します!」社長室に入ると、社長はイスに腰掛けたまま上目遣いに私を一瞥した。「あのイタリア製のソファ、個人的に欲しいから至急届けてくれ」。予想外の言葉に二の句が継げない。「・・・は、はあ」。あっけに取られている私を無視するように社長はいった。「コンペで優勝して二つ手に入ったら、かみさんにくれてやるよ。ガハハハ」。・・・これにて一件落着・・・なのかよくわからない23才、ある秋の日であった。
2007年01月18日
百貨店な人々3「閉店後、そこは戦場」
閉店後の百貨店は戦場だ。お店のクローズと同時に、作業服に身を包んだ何十人ものゴツい男たちが大挙して押し寄せる。行き先は催事フロア。よく地方の物産展とかやっている階のことだ。そう。大きな催事の最終日はつまり、新たな催事の前日ということになる(※)。午後7時に閉店したとして、翌日の開店時間である午前10時まで15時間。このわずかな時間内でイベント会場をバラし、新たな催事セットを組まなければならないのだ。物産展のうち「京都展」と「北海道展」はもっとも集客力のあるイベントで、必然的に催事セットも大規模かつ凝ったものになる。このためアルバイトも含めて、通常催事の倍以上の人員が投入された。外商部からも応援要員がかり出されるわけであるが、それはもっぱら新人の仕事だった。
※当時すでに週一の「定休日」が廃止されていたため、改装や売り場の模様替えなどはすべて閉店後に行われていた。
応援の夜は当然のことながら徹夜だ。現代風にいえばオール。外商活動で歩き回り身も心も疲れ切った状態ではあったが、私はこの売り場応援が嫌いではなかった。何よりもそこには、外商部で感じるようなノルマによる「重圧」がない。物を運んだり商品を並べたりする単純なお手伝いだが、すごくやりがいがあった。もともと百貨店を志望したのもこうした「売り場づくり(企画も含めて)」を手がけたかったということもある。真夜中に食べたカップラーメンのおいしさと、窓から眺めた朝焼けの美しさは忘れられない。
やがて開店10分前。まるで爆弾投下後の街みたいな惨状を呈していたフロアは、見事に新しい世界を形づくっていた。いつのまにか設営業者のゴツい男たちも姿を消し、各ブースには女子社員や現地からやってきた職人さん・板前さんが整然と配置についている。いつもの百貨店の、いつもの風景だ。私は心の中で達成感をかみしめつつ、オープンを待たずに店を出た。
さて、「京都展」と「北海道展」が2大催事という話をしたが、とくに「京都展」は別格だった。百貨店側も「京都展様にお越しいただく」というスタンスで職人さんや板前さんに接していたように思う。「京都展」とは一つの“企業"、“チーム"のようなものであり、ほとんど同じメンバーが旅芸人一座よろしく全国の百貨店を渡り歩くのだ。だから私が勤めていたような田舎立地の百貨店に対しては(都市型の店と比べて売り上げ規模が小さいため)、ついつい先方の態度もデカくなる。百貨店としてもドル箱の「京都展」にそっぽを向かれたら困るので、店長以下、「京都展」のスタッフに対して必要以上に気を使う有様だった。

実際に、ある有名老舗料亭の若女将が「○○円以上の売り上げが見込めないなら参加を取りやめる」と“脅し"をかけてきたらしい。その料亭が出す総菜や弁当は毎回一番人気を誇っていた。京都展のいわゆる「エース」であるため、なんとしても出店していただく必要がある。そのときは、「じゃあ他を削ってあなたの店の売り場スペース拡大するから来て、お願い若女将!」という内販部長の懇願により事なきを得たようだ。もっとも、料亭の若女将には不参加する気持ちなどはじめからない。少しでも好条件を引き出すためのブラフに過ぎないのだ。百貨店もそんなことは百も承知なのだが、若女将のハッタリにつき合わなければならない(売り上げ規模が小さいゆえの)弱さがあった。
今でも地方物産展は、各百貨店にとって集客が見込める重要なイベントだ。毎週のように「○○物産展」のチラシが入ってくるのがその証拠。もしも催事会場で百貨店の社員が職人さんにペコペコ頭を下げているシーンを見かけたら、その店は売り上げが少ないのかも!?
※当時すでに週一の「定休日」が廃止されていたため、改装や売り場の模様替えなどはすべて閉店後に行われていた。
応援の夜は当然のことながら徹夜だ。現代風にいえばオール。外商活動で歩き回り身も心も疲れ切った状態ではあったが、私はこの売り場応援が嫌いではなかった。何よりもそこには、外商部で感じるようなノルマによる「重圧」がない。物を運んだり商品を並べたりする単純なお手伝いだが、すごくやりがいがあった。もともと百貨店を志望したのもこうした「売り場づくり(企画も含めて)」を手がけたかったということもある。真夜中に食べたカップラーメンのおいしさと、窓から眺めた朝焼けの美しさは忘れられない。
やがて開店10分前。まるで爆弾投下後の街みたいな惨状を呈していたフロアは、見事に新しい世界を形づくっていた。いつのまにか設営業者のゴツい男たちも姿を消し、各ブースには女子社員や現地からやってきた職人さん・板前さんが整然と配置についている。いつもの百貨店の、いつもの風景だ。私は心の中で達成感をかみしめつつ、オープンを待たずに店を出た。
さて、「京都展」と「北海道展」が2大催事という話をしたが、とくに「京都展」は別格だった。百貨店側も「京都展様にお越しいただく」というスタンスで職人さんや板前さんに接していたように思う。「京都展」とは一つの“企業"、“チーム"のようなものであり、ほとんど同じメンバーが旅芸人一座よろしく全国の百貨店を渡り歩くのだ。だから私が勤めていたような田舎立地の百貨店に対しては(都市型の店と比べて売り上げ規模が小さいため)、ついつい先方の態度もデカくなる。百貨店としてもドル箱の「京都展」にそっぽを向かれたら困るので、店長以下、「京都展」のスタッフに対して必要以上に気を使う有様だった。

実際に、ある有名老舗料亭の若女将が「○○円以上の売り上げが見込めないなら参加を取りやめる」と“脅し"をかけてきたらしい。その料亭が出す総菜や弁当は毎回一番人気を誇っていた。京都展のいわゆる「エース」であるため、なんとしても出店していただく必要がある。そのときは、「じゃあ他を削ってあなたの店の売り場スペース拡大するから来て、お願い若女将!」という内販部長の懇願により事なきを得たようだ。もっとも、料亭の若女将には不参加する気持ちなどはじめからない。少しでも好条件を引き出すためのブラフに過ぎないのだ。百貨店もそんなことは百も承知なのだが、若女将のハッタリにつき合わなければならない(売り上げ規模が小さいゆえの)弱さがあった。
今でも地方物産展は、各百貨店にとって集客が見込める重要なイベントだ。毎週のように「○○物産展」のチラシが入ってくるのがその証拠。もしも催事会場で百貨店の社員が職人さんにペコペコ頭を下げているシーンを見かけたら、その店は売り上げが少ないのかも!?
2007年01月16日
百貨店な人々2「お肉地獄」
地獄の研修合宿が終わり、いよいよ初出勤の日を迎えた。配属先は「外商部」だ。百貨店の販売部門には大きく分けて「内販」と「外販」がある。内販はいわゆる売り場での販売のことで、外販は外で売る、つまり顧客の玄関先まで足を運んで商品を販売すること。この外販を担っていたのが外商部に属する「外商部員」だ。一般的に、大都市のターミナル駅前立地の百貨店では「内販」の比重が大きく、地方都市立地型のいわゆる“田舎の百貨店"では「外販」が占める割合が大きくなる。私が配属された店は後者のタイプだった。外商部員には一人ひとりにテリトリーが与えられる。そこにはピンキリではあるが数千件の「外商会員様」宅が存在し、売り上げノルマも半期で1千万円前後から多い外商部員では3千万円ほどが課せられていた。
さて、出勤初日に戻ろう。その日はじめて外商部の事務所に足を踏み入れたのである。当然、右も左も分からない状態だ。昨日から考えていた自己紹介のセリフを心の中で繰り返しながら、ドキドキしつつ紹介されるのを待っていた。しかし、直属の上司となる課長から出た言葉は、「電話でお肉売って」というひとことだった。課長はステーキ肉の写真がデカデカと掲載されているチラシ1枚と分厚い顧客名簿を私に押しつけ、スタスタと自分の席へ戻っていった。肉の価格はなんと20,000円だ。「あの、スミマセン・・・売るって・・・」。とまどう私に課長はいった。「名簿のお客様宅に電話して、お肉の注文を取るんです」。「はあ・・・」。
途方に暮れている私を見かねたのか、年代の近い先輩社員が声をかけてくれた。「その名簿は君がこれから担当するテリトリーのお客さまだから、新しく担当になったごあいさつというつもりで電話をかけてみるといいよ」。なるほど。いきなり「お肉いりませんか?」といっても怪しすぎる。しかし、声が地獄の合宿でつぶれているうえ、シロウト丸出しのたどたどしい受け答えでお客さまに不快な思いを抱かせないだろうか。ましてや百貨店のイメージを傷つけやしまいか。私はその疑問を率直に先輩にぶつけてみた。すると、「言葉に詰まっても、たどたどしくてもまったく構わないよ。丁寧でありさえすればいいから。心をこめれば不愉快に思われるお客さまは絶対にいない。約束する」。そういうものなのか。
他の課では、すでに仲間の新入社員が電話販売を始めていた。私もユウウツながら名簿の一人目にアタック。「・・・あ、あ、あの、私□□というものでして、このたびはあの、あの・・・肉、お肉・・・」「・・・ご用件は?」「はい、新入社員のお肉があの・・・」「・・・ガチャリ」。電話は一方的に切られた。先輩は笑いながらいった。「まずは○○百貨店ですっていわなきゃ。百貨店名の力は絶大だから、それだけで信用が得られて最後まで話を聞いてくれるよ」。その後もひたすら電話をかけまくり、午後に入ってからはいくぶんお客さまとの会話もなめらかになってきた。やがて終業時間。1日にかけた本数はじつに約300件(留守宅含めるとその倍以上)。最後の方はしゃべりすぎて舌がもつれ、ろれつが回らなくなってしまうほどの過酷さだった。ボタンを押す指先も固くなっている。さて、肉が何個売れたか。・・・たったの1個だ。それでもうれしかった。物を売る難しさと喜びを思い知った勤務一日目だった。
のちのち課長から聞いたのだが、電話でお客さまと話すことは「もっとも安上がり」で、「もっとも短期間」で、「もっとも効果が期待できる」新入社員教育として、多くの企業が取り入れているOJT(On The Job Training)の一つなんだそうだ。「電話実地訓練」を3日(約1000人と会話する)ほど経験すれば、どのような人間でもイッパシの社会人に生まれ変わるのだとか。
電話といえば、外商事務所には電話がひっきりなしにかかってくるのだが、ベルの音が2回鳴ることはほとんどなかった。なぜならみんな競うように、ベルが鳴った瞬間に受話器を取り上げるからだ。その速さはまるで百人一首大会を見ているようだった。電話回線の仕組み上、事務所の電話のベルが1回鳴るということは、お客さまにとってすでに呼び鈴が2回鳴っている状態なのだという。だから何らかの理由でやむをえずベルが2回以上鳴ってから電話に出る場合(お客さまにとっては3回鳴っている)には、必ず「大変お待たせいたしました」という枕詞が入る。
表面上は華やかなデパートだが、高品質なサービスを維持するのは大変だ。しかし百貨店ではこの「サービスクオリティ」こそが、お客さまの求める最大の要素なのだ。もしもコンビニ並みの接客レベルなら、誰一人として“定価販売"の百貨店で買い物などしないだろう。それにしても、人生のうちであれほど「肉」という単語を使った日はない。もちろん今後もあるまい。食べたわけでもないのに、しばらくは肉を見るのもイヤになったほどだ。
さて、出勤初日に戻ろう。その日はじめて外商部の事務所に足を踏み入れたのである。当然、右も左も分からない状態だ。昨日から考えていた自己紹介のセリフを心の中で繰り返しながら、ドキドキしつつ紹介されるのを待っていた。しかし、直属の上司となる課長から出た言葉は、「電話でお肉売って」というひとことだった。課長はステーキ肉の写真がデカデカと掲載されているチラシ1枚と分厚い顧客名簿を私に押しつけ、スタスタと自分の席へ戻っていった。肉の価格はなんと20,000円だ。「あの、スミマセン・・・売るって・・・」。とまどう私に課長はいった。「名簿のお客様宅に電話して、お肉の注文を取るんです」。「はあ・・・」。
途方に暮れている私を見かねたのか、年代の近い先輩社員が声をかけてくれた。「その名簿は君がこれから担当するテリトリーのお客さまだから、新しく担当になったごあいさつというつもりで電話をかけてみるといいよ」。なるほど。いきなり「お肉いりませんか?」といっても怪しすぎる。しかし、声が地獄の合宿でつぶれているうえ、シロウト丸出しのたどたどしい受け答えでお客さまに不快な思いを抱かせないだろうか。ましてや百貨店のイメージを傷つけやしまいか。私はその疑問を率直に先輩にぶつけてみた。すると、「言葉に詰まっても、たどたどしくてもまったく構わないよ。丁寧でありさえすればいいから。心をこめれば不愉快に思われるお客さまは絶対にいない。約束する」。そういうものなのか。
他の課では、すでに仲間の新入社員が電話販売を始めていた。私もユウウツながら名簿の一人目にアタック。「・・・あ、あ、あの、私□□というものでして、このたびはあの、あの・・・肉、お肉・・・」「・・・ご用件は?」「はい、新入社員のお肉があの・・・」「・・・ガチャリ」。電話は一方的に切られた。先輩は笑いながらいった。「まずは○○百貨店ですっていわなきゃ。百貨店名の力は絶大だから、それだけで信用が得られて最後まで話を聞いてくれるよ」。その後もひたすら電話をかけまくり、午後に入ってからはいくぶんお客さまとの会話もなめらかになってきた。やがて終業時間。1日にかけた本数はじつに約300件(留守宅含めるとその倍以上)。最後の方はしゃべりすぎて舌がもつれ、ろれつが回らなくなってしまうほどの過酷さだった。ボタンを押す指先も固くなっている。さて、肉が何個売れたか。・・・たったの1個だ。それでもうれしかった。物を売る難しさと喜びを思い知った勤務一日目だった。
のちのち課長から聞いたのだが、電話でお客さまと話すことは「もっとも安上がり」で、「もっとも短期間」で、「もっとも効果が期待できる」新入社員教育として、多くの企業が取り入れているOJT(On The Job Training)の一つなんだそうだ。「電話実地訓練」を3日(約1000人と会話する)ほど経験すれば、どのような人間でもイッパシの社会人に生まれ変わるのだとか。
電話といえば、外商事務所には電話がひっきりなしにかかってくるのだが、ベルの音が2回鳴ることはほとんどなかった。なぜならみんな競うように、ベルが鳴った瞬間に受話器を取り上げるからだ。その速さはまるで百人一首大会を見ているようだった。電話回線の仕組み上、事務所の電話のベルが1回鳴るということは、お客さまにとってすでに呼び鈴が2回鳴っている状態なのだという。だから何らかの理由でやむをえずベルが2回以上鳴ってから電話に出る場合(お客さまにとっては3回鳴っている)には、必ず「大変お待たせいたしました」という枕詞が入る。
表面上は華やかなデパートだが、高品質なサービスを維持するのは大変だ。しかし百貨店ではこの「サービスクオリティ」こそが、お客さまの求める最大の要素なのだ。もしもコンビニ並みの接客レベルなら、誰一人として“定価販売"の百貨店で買い物などしないだろう。それにしても、人生のうちであれほど「肉」という単語を使った日はない。もちろん今後もあるまい。食べたわけでもないのに、しばらくは肉を見るのもイヤになったほどだ。
2007年01月15日
百貨店な人々1「地獄の軍事訓練」
広告業に携わる前、大阪に本社を置く百貨店に勤めていたことがある。もう10年以上も昔の話だ。勤務していた支店はすでに撤退しており存在しないため、このブログでネタにしたところで誰にも迷惑はかかるまい。そこで、今日から新たに「百貨店な人々」というカテゴリーを新設し、シリーズで百貨店業界のウラオモテを記してきたい。第一回目は「地獄の軍事訓練」。
私が入社した年は、ピークを過ぎたとはいえまだまだバブリーな時代。新卒採用は大卒だけでも500名を超えていた。この500名がそれぞれ全国の支店に配属され、デパートマンとして華やかな日々を送るのだ!・・・と妄想していられたのは、このときまでだった。
実際の職場に配属される前、2週間ほど神戸のとある施設にて研修合宿が行われた。しかし「研修」とは名ばかりで、その実態は新入社員たちが持っている「学生気分」を完膚無きまでに叩きのめす儀式に他ならなかった。合宿初日、期待に胸をふくらませて研修会場となる会館の門をくぐった。満面の笑みで出迎える本社の人事課長から手渡されたのは、中学生のとき体育で着ていたようなダサい緑色のジャージ上下だった。総勢500名にジャージが行き渡るのを見届けると、人事課長は微笑みを絶やすことなくいった。「今日はこれから夕食をとっていただきま〜す。その後はとくに予定はありませんので自由に過ごしてくださいね。明日は朝7時から研修が始まります。遅れないようにホールへ集合してくださいね〜」。さすがデパートマン。笑顔がまぶしいぐらい爽やかである。これは楽しい研修合宿になりそうだ。ジャージがダサいのぐらいガマンしよう。
翌朝、モソモソと緑ジャージに着替え、眠い目をこすりながら集合場所のホールへ。ん!?・・・何か空気が違う・・・。そこで待っていたのは、竹刀を片手に能面のような表情で仁王立ちする人事課長の姿だった。昨日までの、いかにもサービス業というにこやかな表情はかき消え、三々五々ホールに入ってくる新入社員たちをサメのように冷たい視線でにらみつけている。みんな異変を察しながらも、自分のネームプレートが置かれた席につく。集合時刻の7時まであと5分。まだ4分の1ほど席が空いている。サメ課長は腕時計で時間を確かめると、ノソノソとホールに入ってきた新入社員にいきなり罵声を浴びせた。「おいお前っ、7時に集合と言っただろう。遅刻だ!舞台に上がっとれ!」。私は時計を確認したが、まだ7時にはなっていない。明らかにサメ課長の勘違いだ。しかしその後も続々と入ってくる新入社員たちに「遅刻」を宣告し続け、最終的には舞台に30名ほどが立たされることとなった。
中には勇者がいるもので、ホールの壁に掛けられている時計を指さしながら反論する。「まだ7時になっていません!」。しかしサメ課長はまったく動ずる気配を見せず、地の底からわき上がるような低い声でこういった。「・・・7時に始まるといわれたら、5分前には席に着いていなければならない」。ちなみにこの「5分前集合」は実際の業務の上でも徹底された。「遅刻」は組織を腐らせる最大級の「悪」とされており、配属先の上司からも真顔で「遅刻するぐらいなら休め」といわれたぐらいだ。舞台上の約30名はその後、昼食までの約5時間をシカトされ続けた。
さて、研修の内容といえば、百貨店や流通に関する実質的な「講義」はほんのわずかで、日程のほとんどがひたすら「声を出す」ことに費やされた。たとえば「歌唱指導」と呼ばれるカリキュラムでは、サメ課長が無作為に新入社員一人の名前を指名し、好きな歌を大声で歌わせるのだ。最初のうちはみんな恥ずかしがっていたが、3日目ぐらいにもなると感覚が麻痺してどうでもよくなっていた。察しはついていると思うが、歌唱「指導」の中身は「もっと大きな声で!」または「腹から出さんかい!」の2点のみだった。
少なかったとはいえ、ひとコマ2時間にもおよぶ「講義」もツライ時間だった。大学教授なども講師陣に含まれていたようだが、内容なんてまったくアタマに入らない。ただひたすら睡魔と格闘するだけだ。腕を思い切りつねる者、モモに爪を食い込ませる者、シャープペンの芯を皮膚に突き刺す者など、戦い方はバラエティに富んでいた。私は手軽に行えるシャープの芯派だった。睡魔に負けて首をカックンさせようものなら、鬼教官が飛んできて間隔1cmの至近距離で罵声を浴びせられる。
合宿中はとにかく「時間」に拘束されていた。とくに入浴の時間は脱衣を含めてわずか10分という過酷な短さ。のんびり湯船につかってなどいられるはずもない。みんな慌てて風呂場を駆け回るため、転倒して尻や後頭部を強打する者が続出する始末。デパートマンのたしなみとして洗髪が義務づけられていたのだが、シャンプーを洗い流す前にタイムアップとなり、頭がアワアワのままで過ごすことを余儀なくされたのは私だけではない。朝の洗顔も制限時間が5分(教官がストップウォッチで計っていた)。ここでもみんな急いでヒゲを剃る(もちろんヒゲそりも必須)ものだから、失敗して顔を血だらけにしている者が多かった。まさに修羅場、戦場、地獄・・・。学生時代ののほほ〜んとした生活が夢のようだ。自由なひとときは消灯後のベッドの上だけ。ひと部屋に8人ずつ収容された。合宿後はそれぞれ異なる店へ配属される可能性が高いので2週間だけのルームメイトだ。真っ暗な中、将来の夢や仕事への期待を語り合ったのが唯一楽しかった思い出かもしれない。
そんな軍隊式の研修だから、500名の新入社員の中にはついていけない者もいる。実際に5名が研修半ばで合宿所を逃亡した。その後の彼らがどうなったか知る人はいない。合宿最終日には全員の声がつぶれており、空気だけがのどを通るようなスカスカな声で「大声」を張り上げ続けていた。やがて全行程が終了。マイクロバスに分乗し、悪夢の舞台となった会館をあとにした。神戸駅で帰りの新幹線チケットを購入する際ついに声が出なくなり、みどりの窓口の人と「筆談」したのを憶えている。
あの合宿から十数年。500名の「新入社員」たちは今ごろどうしているかな。デパートマンを続けている者や、私のようにまったく異なる業界へ転身した者も多いかもしれない。共通するのは、あの地獄の2週間をともに耐え抜いたということだけ。「戦友」とはこういうものをいうのだろう。・・・いや、違うなやっぱし。
私が入社した年は、ピークを過ぎたとはいえまだまだバブリーな時代。新卒採用は大卒だけでも500名を超えていた。この500名がそれぞれ全国の支店に配属され、デパートマンとして華やかな日々を送るのだ!・・・と妄想していられたのは、このときまでだった。
実際の職場に配属される前、2週間ほど神戸のとある施設にて研修合宿が行われた。しかし「研修」とは名ばかりで、その実態は新入社員たちが持っている「学生気分」を完膚無きまでに叩きのめす儀式に他ならなかった。合宿初日、期待に胸をふくらませて研修会場となる会館の門をくぐった。満面の笑みで出迎える本社の人事課長から手渡されたのは、中学生のとき体育で着ていたようなダサい緑色のジャージ上下だった。総勢500名にジャージが行き渡るのを見届けると、人事課長は微笑みを絶やすことなくいった。「今日はこれから夕食をとっていただきま〜す。その後はとくに予定はありませんので自由に過ごしてくださいね。明日は朝7時から研修が始まります。遅れないようにホールへ集合してくださいね〜」。さすがデパートマン。笑顔がまぶしいぐらい爽やかである。これは楽しい研修合宿になりそうだ。ジャージがダサいのぐらいガマンしよう。
翌朝、モソモソと緑ジャージに着替え、眠い目をこすりながら集合場所のホールへ。ん!?・・・何か空気が違う・・・。そこで待っていたのは、竹刀を片手に能面のような表情で仁王立ちする人事課長の姿だった。昨日までの、いかにもサービス業というにこやかな表情はかき消え、三々五々ホールに入ってくる新入社員たちをサメのように冷たい視線でにらみつけている。みんな異変を察しながらも、自分のネームプレートが置かれた席につく。集合時刻の7時まであと5分。まだ4分の1ほど席が空いている。サメ課長は腕時計で時間を確かめると、ノソノソとホールに入ってきた新入社員にいきなり罵声を浴びせた。「おいお前っ、7時に集合と言っただろう。遅刻だ!舞台に上がっとれ!」。私は時計を確認したが、まだ7時にはなっていない。明らかにサメ課長の勘違いだ。しかしその後も続々と入ってくる新入社員たちに「遅刻」を宣告し続け、最終的には舞台に30名ほどが立たされることとなった。
中には勇者がいるもので、ホールの壁に掛けられている時計を指さしながら反論する。「まだ7時になっていません!」。しかしサメ課長はまったく動ずる気配を見せず、地の底からわき上がるような低い声でこういった。「・・・7時に始まるといわれたら、5分前には席に着いていなければならない」。ちなみにこの「5分前集合」は実際の業務の上でも徹底された。「遅刻」は組織を腐らせる最大級の「悪」とされており、配属先の上司からも真顔で「遅刻するぐらいなら休め」といわれたぐらいだ。舞台上の約30名はその後、昼食までの約5時間をシカトされ続けた。
さて、研修の内容といえば、百貨店や流通に関する実質的な「講義」はほんのわずかで、日程のほとんどがひたすら「声を出す」ことに費やされた。たとえば「歌唱指導」と呼ばれるカリキュラムでは、サメ課長が無作為に新入社員一人の名前を指名し、好きな歌を大声で歌わせるのだ。最初のうちはみんな恥ずかしがっていたが、3日目ぐらいにもなると感覚が麻痺してどうでもよくなっていた。察しはついていると思うが、歌唱「指導」の中身は「もっと大きな声で!」または「腹から出さんかい!」の2点のみだった。
少なかったとはいえ、ひとコマ2時間にもおよぶ「講義」もツライ時間だった。大学教授なども講師陣に含まれていたようだが、内容なんてまったくアタマに入らない。ただひたすら睡魔と格闘するだけだ。腕を思い切りつねる者、モモに爪を食い込ませる者、シャープペンの芯を皮膚に突き刺す者など、戦い方はバラエティに富んでいた。私は手軽に行えるシャープの芯派だった。睡魔に負けて首をカックンさせようものなら、鬼教官が飛んできて間隔1cmの至近距離で罵声を浴びせられる。
合宿中はとにかく「時間」に拘束されていた。とくに入浴の時間は脱衣を含めてわずか10分という過酷な短さ。のんびり湯船につかってなどいられるはずもない。みんな慌てて風呂場を駆け回るため、転倒して尻や後頭部を強打する者が続出する始末。デパートマンのたしなみとして洗髪が義務づけられていたのだが、シャンプーを洗い流す前にタイムアップとなり、頭がアワアワのままで過ごすことを余儀なくされたのは私だけではない。朝の洗顔も制限時間が5分(教官がストップウォッチで計っていた)。ここでもみんな急いでヒゲを剃る(もちろんヒゲそりも必須)ものだから、失敗して顔を血だらけにしている者が多かった。まさに修羅場、戦場、地獄・・・。学生時代ののほほ〜んとした生活が夢のようだ。自由なひとときは消灯後のベッドの上だけ。ひと部屋に8人ずつ収容された。合宿後はそれぞれ異なる店へ配属される可能性が高いので2週間だけのルームメイトだ。真っ暗な中、将来の夢や仕事への期待を語り合ったのが唯一楽しかった思い出かもしれない。
そんな軍隊式の研修だから、500名の新入社員の中にはついていけない者もいる。実際に5名が研修半ばで合宿所を逃亡した。その後の彼らがどうなったか知る人はいない。合宿最終日には全員の声がつぶれており、空気だけがのどを通るようなスカスカな声で「大声」を張り上げ続けていた。やがて全行程が終了。マイクロバスに分乗し、悪夢の舞台となった会館をあとにした。神戸駅で帰りの新幹線チケットを購入する際ついに声が出なくなり、みどりの窓口の人と「筆談」したのを憶えている。
あの合宿から十数年。500名の「新入社員」たちは今ごろどうしているかな。デパートマンを続けている者や、私のようにまったく異なる業界へ転身した者も多いかもしれない。共通するのは、あの地獄の2週間をともに耐え抜いたということだけ。「戦友」とはこういうものをいうのだろう。・・・いや、違うなやっぱし。
